沿革 社殿 発端と経緯 アクセス

茨木恵美須神社 社殿

新装成った恵美須神社

重量感ある黒い紋瓦、 映える白壁、 柱も桁も床も美しく洗い直された新社殿が昨年十月に完成、 十一月 一日夜に正遷宮祭を奉行致しました。

顧みるとこの社殿は、 去る昭和三十八年に茨木恵美須講等の協賛で新築されて以来四十年近く経過し、 屋根の傷みが特に進んで雨湘りも甚しかったのが、 やっと新しく立派に竣工しました。

<縁 起>

当社伝来の古文書に「恵美須社縁起 巻」 (宝永五年記)があります。 それによると元和三年(-六一七)に氏子の米屋が仕入れた米俵の中から戎神の画像が発見され た。 これこそ商売繁盛の瑞祥であると喜び敬って、 その後氏子中の商家が交替で永年 この神像を祀祭し続けて来た。 然しこの私宅でのお祭りでは、 神様に勿体ないことと考え、 一同で相談の上、 明治十二年(-八七九)氏神様境内に社殿を新設して祀ることになった。

 

<御祭神>事代主神

神典「古事記」等によると、 出雲国を受取に派遣されてきた建御雷神に対し、 父大 国主神から交渉を一任されていた事代主神は、 直に「この国は天照大御神のお子様に 差し上げましょう」と答えて自らも身を隠されたという国譲りの託宣、 又事代主神と茨木の溝咋姫命との間に生まれました五十鈴姫命は、 神武天皇の皇妃に入られたと記されている。

その御神徳(戎信仰)は元来漁民の間に拡まり豊漁の神と仰がれていたが、 中世からは次第に広く一般商業や福利のご利益を祈願する「福の神」と慕われるようになった。 それが「七福神」となり、 「十日戎」の賑わいとなっている。
伊勢神宮に鎮まる天照大御神は「日輪」に象徴され、 大国主神・事代主神は葦原の 中つ国を開かれた大地の神であります。 私達にとって太陽や大地自然の恩恵は実に偉大なものであり、 常に謹んで敬仰と感謝の誠を捧げて奉りたいものです。