



元和3年(1617年)の秋、里の商人が田舎より米穀を買求めてきた処、その俵の中から恵美須神の御絵像が巖然と現れ給うたので、一同霊感の思いゆゆしくて氏神の拝殿に掛けて祀ることとなった。
それより月毎の20日に、講中が交替で私宅にその御絵像を掛けて祀る習となり、商売は益々繁栄してゆき、他の村里からも参加するようになり「茨木講二十日汁」と称していた。
然るに、民家で御神像を持ち廻ることは恐れ多いと、宝永5年戌子(1708年)11月20日より毎年神社内で祭礼を巖修して、村里の商が益々繁昌することを祈ってきたのである。"
更に、明治12年(1879年)9月に新たな社殿を現在の場所に建築して、茨木神社の一境内社として鎮座され、明治・大正・昭和•平成と経てきたのであります。
茨木恵美須講が結成されてからは、十日戎の諸神賑行事一吉兆神楽・宝恵篭福引等ーが年を追って盛大となり、昭和三十八年に結成十周年記念として現在の社殿が新築され、一層の盛況となって平成13年に社殿の改築を行い今日に至ったものであります。