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茨木恵美須神社の沿革

茨木恵美須神社の沿革
茨木神社に江戸時代から大切に伝えられてきた上掲写真のような巻物一巻が保存されていますが、その中には「恵美須神の縁起」「祝詞」と「恵美須神説」とが達筆で記されています。
下記に、その中の「恵美須神の縁起」を要約して記します。
 
"そもそも茨木の市場は、天正年間、中川清秀公が茨木城主の時より、月毎にl·3·6·8日の市日が始まり、遠近から人々が群をなして集まり山海の諸物を交易したので、土地も賑わひ家門も富み栄えてきた。

元和3年(1617年)の秋、里の商人が田舎より米穀を買求めてきた処、その俵の中から恵美須神の御絵像が巖然と現れ給うたので、一同霊感の思いゆゆしくて氏神の拝殿に掛けて祀ることとなった。
それより月毎の20日に、講中が交替で私宅にその御絵像を掛けて祀る習となり、商売は益々繁栄してゆき、他の村里からも参加するようになり「茨木講二十日汁」と称していた。
然るに、民家で御神像を持ち廻ることは恐れ多いと、宝永5年戌子(1708年)11月20日より毎年神社内で祭礼を巖修して、村里の商が益々繁昌することを祈ってきたのである。"
 
更に、明治12年(1879年)9月に新たな社殿を現在の場所に建築して、茨木神社の一境内社として鎮座され、明治・大正・昭和•平成と経てきたのであります。

茨木恵美須講が結成されてからは、十日戎の諸神賑行事一吉兆神楽・宝恵篭福引等ーが年を追って盛大となり、昭和三十八年に結成十周年記念として現在の社殿が新築され、一層の盛況となって平成13年に社殿の改築を行い今日に至ったものであります。