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茨木戎の発端と経緯

戎さんは商売繁昌の神さんで大変ご利やくのある事は誰しも知る処でありますが、 50年前の昭和27年頃、 西宮戎さんは市電工ビス町より神社迄の間は人の波で数千の 露店が軒を並べ境内では鉦や太鼓の音に混って吉兆や福笹を売る声、 神楽太鼓や鈴の 音でその賑やかな事。 又、 何十台かの飾られた宝恵篭は熱狂的人気を煽り立てさすがに商都大阪の戎さんでありました。 茨木にも戎さんがありながら何故もっと発展しな いのか、 又、 どうすれば発展さすことが出来るのか、 戎さんの発展は即ち町の発展に繋がることから何とかして復興しなければならないと考えられた。

茨木恵美須神社は古い歴史があり乍ら戦後は大した行事も行われず、 ただ少々の露店が出され吉兆や笹が売られる位で大方の人は西宮や今宮に行くと云う状態で淋しいものになって居ましたので、 先ず茨木の商業人が 丸となって立ち上がらなければと考え、 商連会長さんを囲み臨時総会を開き、 御協力方お願い致しました結果、 全員の賛同を得る事が出来ました。

その後、数度の会合を開きまして愈々実行案も出来上がりましたので先ず商工会議所会頭や専務、市商工課長に趣旨の説明と協力方お願い致しました所、御協力とご賛同を得る事が出来大いに意を強くいたしました。

11月20日の戎祭りを中心に具体的に運動を進めて行く事になりました。 その間種々と啓蒙を行いまして何とか形の出来上がったのは秋祭りも過ぎ11月初めの頃でした。その間世話方も追々増加してまいりまして愈々11月10日に社務所に於て第1回結成総会を開催する運びとなり宮司さんを初め会議所、 市商工課、 商連会長以下30余名の方々の出席を見る事が出来ました。 総会の結果は大体次の様です。

 

1.名称は茨木恵美須講と称し毎年1月9、10、11日に大祭を行う。

2.講元、副講元、役員(世話方)の選出

3.講の運営資金は講金及び寄附金等をもってする。

その後、世話方の選考は成るべく多くの人にお願いする事になるので後日序々に行う事となりました。

斯くして11月20日の恵美須神社の祭礼には出来る限り多くの人を招待する事を申し合わせました。幸い当日は50数名の参列者があり大いに盛り上がって参りました。尚、この人々は後日運営に協力して頂くことになりました。

11月25日再度会合を開き実行案に関して協議を行いました結果下記の諸案が可決され各々実行に取組む事になりました。

 

1.講員の獲得と協力費の拠出(副講元負担)

2.寄附金を集める(役員及び世話方担当)

3.福笹、吉兆の販売

4.宣伝を行うこと

5.宝恵篭の製作

6.接待(敬神婦人会に依頼)

 

年が改まり1月4日全員社務所で新年会を開き、愈々5日より3班に分かれ、寄附集めに従事致しましたが初めての事でもあり説明に手間取り、思う様に運ばなかった様ですが、皆熱意を持って従事して頂いた結果概ね成果を収め宵戎を迎えたのであります。さきに宝恵篭娘を 般家庭へ御依頼致しましたが、1人の応募もありませんので急拠各料亭へお願い致し、各店よりの御協力を得て漸やく5台の篭を出す事が出来ました。尚、収受いたしました寄附金は戎社の北側に木札を掛けて発表させて頂きました。 斯して宵宮は天候も良く人手もよくまずまず成功と考えられます。 夜より次第に 天候が悪くなって、 気遣われるのは明日本番の空模様です。 夜が明けて天気は依然として悪く祈る様な気持ちで準備万端怠りなく各部署を督励して待機致して居りました。愈々花火も打ち上げられ時間の経過と共に段々と参拝者も増加して参りまして境内も混雑して参りました。 神楽も上々で終日奉納され吉兆福笹も早々に売切れる始末でそ の補給に大童で誠にうれしい悲鳴です。 勇気百倍吾々の苦労も漸やく実を結んで来た のであります。 遂に明日の残り福の準備に徹夜となりました。 11日の残り福も天候 に恵まれ予想外に参詣者も多く、 昨夜来準備した吉兆福笹も殆んど売切となり大変な 成功を収めた次第であります。 一方振り返ってここまでに盛り上げた役員世話方の努力こそ並大抵の事ではなかったと思います。 又、 裏方さんの敬神婦人会の皆様の献身的な御援助に対して感謝の念で一杯でした。 又、 初めての事で何をするにも混乱して不行届ばかりでありました。 最終決算の結果は赤字となりましたがこの分は神社より 一時借入いたしましたが大いに反省させられました次第です。

第2回大祭は前年度の経験を墓に更に新しい企画を取入れ宣伝と啓蒙に主力を注ぎまして阪急電車各停留所に看板を立てビラを張り、 チラシの折込、飛行機やアドバルン、 花火と空からの宣伝、 又、 境内に演芸場を設け素人のど自慢浪曲、 万才師を招く等多彩な行事を実施いたしました。 幸い本年は天候もよく露店の数も増加し昨年と 比較致しますと人手の方も随分のびて参りまして境内の混雑は大変なものでした。 従 って各部の売上げも上々の首尾で漸く茨木戎の人気も定着して参りまして役員一同喜 び合った次第です。 尚、 気掛かりなのは呼び物の宝恵篭で今年も一般よりの応募はなく料亭にお願い致しましたが僅か2名だけでしたので演芸屋より芸人2人の応援を頼み漸やく4台の篭を出す事が出来ました。 これだけはもう一度考え直す必要があり、来年の課題として方策を研究する事になりました。 第2回十日戎の収支は若干の不足となりこれ又神社より借入致しましたが実質的には黒字でありまして備品の購入に大分支出を致しましたことによるものであります。 尚、 神社より借用いたしました分は 其の後返却いたしました。

第3回、 第4回共に好調裡に参拝者は増加して参りまして漸く茨木戎も軌道に乗って参りました。 この頃より京阪、 南海、 近鉄の各駅よりの問合せがありおよそ沿線15駅位が認識をもつ様になりました。

第3回以後は経費等の関係も考慮して宝恵篭や演芸等の催しは一時中止する事になりました。 そして各私鉄も順次協力する様になり宣伝に力を貸す様になりました。第5回の十日戎も引続き好調の一途を辿りつつありました。 第7回より出雲の本社へ代参する事が定められました。 その人数は2名~3名、 もう一つの大きな事業は恵美須神社改築の件で旧社は破損甚だしく発展途上にある今日何かと不便多く第10回記念事業としてその改築方を総会に計りました結果全員の賛成を得ましたので愈々実現に取掛る事になり役員が京都の各神社へ研究に参りまして、 各社を回り結局京都恵美 須神社社殿を参考に愈々建築に取り掛る事になりました。 既に竣工も見、 昭和38年11月20日、木の香も新しい社殿で賑々しく且つ盛大に報告祭を執り行う事が出来ました。 是には物心両面共に各方面の絶大な御協力と御援助がありました。 第10回戎も新しい社殿で賑々しく行われました。 以来年を追って年々発展裡に十日戎が斉行されまして順調に延びて参りましたが創立以来献身的に御協力頂いた役員の中には病に倒れ、 又故人となられた方も多く運営に支障を生じる事もあり心を痛めましたが事業の方は着々と順調に進んで参りました。 斯して資金の方も相当に蓄積される様になり ましたので20年記念を目標に次の計画に取り組む事に致しました。

 

1.境内に公衆便所を設置すること。

2.防犯を兼ねて照明灯の設置を行う。

3.植樹をして緑化を図る(境内及び堤防) 4.祭具及び什器類の購入

5.小集会所の設置

 

以上総会の決議を経て手近なものより逐時取り掛りました。

第20回十日戎も天候よく近年希に見る盛況で餅まき、 大福引、 福娘と宝恵篭と最高の人気を誘い各電鉄の宣伝とにより沿線各地よりの参詣者も多く、 又、 最近露店が非常に多くなり、 境内の混雑が増加して参りました。 一時は境内への立入り制限も行 われる程の人出となりました。 20年前の今宮戎の情影が去来いたします。 大々成功を収め全く夢の様な気が致しました。

第20回記念祭典を11月20日恵美須神社前に於いて厳粛に斉行いたしました。 当日 の招待者はこれ迄にお世話になった市長、 商工会議所会頭、 警察署、 消防署、 府会議員、 市会議員、 神社総代、 敬神婦人会、 世話方の各位で、 祭典終了後社務所において 盛大なる直会を催しました。 尚、 当日出席された方々及びご欠席の方へも記念として出雲美保神社宮司の筆になる恵美須大神の額を贈呈いたしました。 斯くし講の運営も順調に伸展致しまして確固たる基礎の上に茨木恵美須の名声は最早揺るがぬものとな りました。

尚、 51年度事業方針として下記の諸件が可決されました。

1.絵馬堂内倉庫の改造

2.鳳輩庫裏物置改造

3.未社主原神社裏材料倉庫の改造

4.恵美須神社裏材料倉庫改造

5.植樹及び石垣整理

6.講員拡充と講金徴収の件

7.班の編成と責任者選任名簿整理 8.25周年記念事業と基本方針

 

さて、 第25回大祭の記念事業は既に可決を見ております通り物故者追悼慰霊祭の執行であり、 この実施し当たりましては度々会合を開き、 実行案も出来上がって居りますのでただ遺漏のない様充分なる配意を致しました。 11月20日恵美須神社前にて大 祭を執行致しました慰霊祭は社務所床の間に祭壇を設け物故者の写真を安置いたしまして岡市宮司さん斉主の下に最も厳粛に斉行されたのであります。

当日の招待参列者は物故者御遺族の外、 市長、 市会議員、 府議会議員、 商工会議所 会頭、 警察署長、 消防署長、 各新聞社、 NHK、 役員世話方、 敬神婦人会長の方々の他、 本家出雲の美保神社宮司さんの参列もあり其の数80余人でありました。 式の後社務所で盛大な直会(なおらい)が行われ意義深い催しでありました。 この反面世話 方各位のお骨折りには並々ならぬものがありましたが、 以後、 順調に年月を重ねて 50周年を迎えることになりました。

 
平成14年発刊 50周年記念誌より